加勢婦は見た!スーパードライが口火を切った非常識。
我が酒店は、酒屋でもあり、
米・タバコ・プロパンガス・灯油などを販売、
その9割が従業員が朝から御用聞きに回り、
注文を取ってきて配達するので、
店がバタバタ忙しいわけではありませんが、
注文でかかってくる電話は頻繫でした。
1件だけ目茶苦茶緊張するお客様がいて、
組長の奥さんからの注文は電話口だけでも凄みがあり、
このような類の方との電話応対は初めてでしたので
最初のうちはそれはもうビビりました。
舎弟を束ねるその道の妻ともなると、
<なめたらいかんぜよ!> のほんまもんです。
声でわかる新参者扱いされていた私も
気に入られている主人の妻とお分かりになってからは
口調が少し柔らかくなり、ほっとしたものです。
そのころ日本酒は一升瓶ばかりで軽量化の発想はまだ先の話で
と、今だから言えることですが
誰もが酒は一升瓶と頭に刷り込まれていたのでしょうか。
銘柄も今ほどなく、焼酎が出回りだしたころで
大分のいいちこがダントツで売れていました。
ワインはうちに限っては無に近く、あって赤玉ハニーワインという
甘未果実酒だけでワインの注文はまずありませんでした。
そしてビールですが、缶も売れましたが瓶ビールが主流で、
売れるのはキリンビールばかり。ビールはキリンと決まっていました。
しかも今みたいにあれやこれや種類がなく、
単純にキリンはキリンビールだけです。
ところがそこに、今までぱっとしなかったアサヒビールが、
ホントにぱっとしなかったあのアサヒから
スーパードライというメガヒット商品が誕生したのは衝撃でした!
ビール好きの顧客も途端にアサヒに切り替え
この田舎店でさえ大反響を呼び、それは
一世風靡にふさわしいビール業界の革命でした。
誕生してから約40年、不動の位置を君臨しており、
CMもイチローや福山雅治と、まさしく選ばれし者を起用しています。
これにはさすがのキリンも打撃を受けないわけがありません。
その後、キリンが発売したのが今や王道の一番搾りなのです。
ビール部門に乗り出し、
ビールでも一目を置くモルツを輩出します。
歴史のあるサッポロビールも、明治時代に誕生した高水準・高価格の
エビスビールは当時とても他社にはまねのできない逸品。
時代の流れと共に、キリンは思ったでしょう。
まさかアサヒに抜かれるとは ! あー、あー、あー。
しかーしピンチをチャンスに変えたかっこ良さ。
ビールはキリン。の常識を非常識に変えていく、
キリンもそこにあぐらをかかず
社運をかけて開発に乗り出し、さらに高みを目指し
各社美味しいビールを提供しようと、
クールジャパンの歩みが止まらないのを
売り場で加勢婦は見てしまったのでした!
つづく。