れっかの、あるあるブログ

~いろんなことあるけど、前を向くのをやめないでね~

親子水入らずが無かった家族?

私たちの新居は、実家の横のお父さんが建てた3階建てのアパートの一室です。

 

結婚して10か月後、私も銀行を退職して酒屋の手伝いに入りました。

 

ここからは少し、私から見たお母さんの

人間観察っぽい表現になりますが、

 

10数名の住み込みの方々の世話をしていた昔と違い、

今は3人の従業員と店を営んでいるので、

お母さんは今でも忙しいとはいえ

昔に比べればそれはもう随分と楽になりました。

いや、昔が非常識的な忙しさだったからです。

 

そして、大きく変わったところは、仕事が終われば親子水入らず。

これがお母さんにしたら、嫁いだ時からの大変化です。

いつから住み込みの方が完全にいなくなったのかは知りませんが

親子水入らずをやっと手に入れたという、聞いたことのない家族形態でした。

 

 

このころはまだまだ大和なでしこ

(つつましく男性を立てましょうの意味で取ってください。)

 

女が家事全般・育児をするのが当たり前。

男が台所に立って料理をするなんざ、ありえん時代でした。

(おかしな話です。多くのシェフは男性なのに。

逆に女性がシェフだと偏見を持つ時代だったのかと思います。)

 

 

こんな過疎地ですからお母さんは行商人から野菜を買ったり、

肉や魚は電話で注文してやれやれの状態で食材を確保して

仕事が終わるや否や急いで夕飯に取り掛かる毎日。

その日の少しの食材で夕飯を作らねばならない、

まるでノンストップのずん飯尾のコーナーの現実版です。

 

こんな毎日でストレスをストレスと思わないのかと、

しょうみお母さん一人でこなしてきた店に主人が、少し遅れて私が加わり

男性陣は配達へ、私はお母さんから注文の電話応対、

発注や事務の仕事を教えてもらう日々が始まりました。

 

商売の呪縛とでもいうのでしょうか。

悪い時に使う言葉ですが決してそういう意図はなく、

商売の虜と言うと何か趣味のようでニュアンスが違います。

 

私の父は一切、会社であったことや仕事を

家に持ち込まない人でした。

それに相反し、主人の実家は丸ごと仕事本位で、

そんな中で肝っ玉母さんの頭角を現し、

商売繫盛が大好きになってしまい、

だからストレスにならないんだろうなあと思っていました。

 

その時は・・・。