れっかの、あるあるブログ

~いろんなことあるけど、前を向くのをやめないでね~

母の認知症について20年前の対応の違い。

父が亡くなり、母がひとりになってからの方が

実家に行く頻度が多くなっていました。

 

それは仕事に、子育てに、家事にとその日その日を

無事に必死で過ごしてきたからですが、

今やもう子供たちは中学生ですから。

 

その日、実家に行った時、

母が煮物を空焚きしているのに気づき、

 

母をこのまま一人で住まわせるのが不安になり、

母自身、ここに入ろうと思っていると手渡されたのが

年寄りでも身近に情報が手に入るコープのチラシでした。

 

読んでみると、入居するのに100万円です。

郵便局とコープというのは、無条件で年寄りが

大好きなのはわかっていますが、

全く年寄りをなめんなよって感じです。

 

ましてや、100万円出しても惜しくないほどの

施設なのかなんて思いもしませんし。

 

「お母さん、入居するのに100万円要りますなんて所はやめとこ

私が一番良い所を探してあげるからね。」

と母に約束しました。

 

そして施設長をしている友人に相談します。

彼女は看護師の免許を取得した後に

老人ホームを立ち上げた起業家で、

 

彼女の口癖は、介護側ではなく

「老人を苦しめるのは私が許さん。」でした。

 

実家に来てもらって、母と屈託のないおしゃべりを

じっくりして、

帰る彼女を庭に駐めた車まで見送ると、

 

「あんたにはわからんやろうけど、

まだらが始まってるね。

景色の良い部屋を用意しておくから

考えてみて。」

と言って施設に帰りました。

 

私には母のそのまだらが

全くわかりません。

 

本音を言うと、友人の助言を鵜吞みにしていいのか

とまで考えました。

しかしこのタイミングで

友人が毎日のように母を見て言葉を交わしてくれる、

こんな好条件はありません。

 

 

兄に話すと開口一番、

「なんでそんなところにお母さんを入れるんだ。」

と。

 

今の施設に対する需要とは大違いの、

20年前は「そんなところ」呼ばわりで、

まるで私が悪者扱い。

 

じゃあ、兄ちゃんがこの先面倒見れますかって話です。

それ以前に母が同居を望んでいません。

 

父を看続けてきた、

母にとっての長いお仕事が終わり

 

やがてどこかで頑張り続けてきた糸がぷつっと切れたのか、

 

母の認知症が軽度の状態で

友人の施設にお世話になることとなります。