れっかの、あるあるブログ

~いろんなことあるけど、前を向くのをやめないでね~

良きも悪しきも、母のおかげです。

私の母は、なぜか飲み物をこぼすと怒る人でした。

 

ジュースをこぼして、

母が来ないうちに雑巾で拭いているその目の前に

腕を組んで仁王立ちしている母の顔は

それはもう、小さかった私が見上げると

まるで鬼の形相で、

今もしっかり覚えています。

 

でも、私には疑問でした。

なぜ飲み物をこぼすと血相を変えて怒るのだろう。

 

例えば、母自身がこぼしたとしても

怒る人は誰もいないのに・・・。

 

これが私の子育てに繋がり、

子供が飲み物をこぼしても、

はいよっ!と雑巾を投げるだけ。

 

自分で拭けば大丈夫!

こぼすことだってあるさ。

プラス私の手間もかかりません(笑)

 

たったこれだけのことですが、

こんなお母さんで良かったと

大きくなった娘に言われたのを覚えています。

 

こうして、思っているだけではなく、

気持ちを言葉にしてくれると嬉しいものですね。

 

 

話はガラッと変わり、

私が小学3年生のころ、母が何も言わず

10分位一緒に歩き着いた先が

ピアノの先生のお宅でした。

 

要するに、私の意思はどこへやら、

自宅にドン!とヤマハのピアノが届き

それから私は美也子先生の下で

週に一度のピアノのレッスンを受けることになります。

 

当時、ピアノが持てる有り難さなんて

解りもしませんでしたが、

レッスンに通ううちに

音符の読み方・記号・絶対音感

わかるようになり、

学校の音楽も楽しくなりました。

 

そのうち、美也子先生はお年頃(今は死語ですが)

になって結婚して長野に行きました。

 

その頃ちょうど、

ユーミンが新星の如く現れ、

クラシックからユーミンの曲に興味が湧き、

ルンルンでユーミンの作品集を買ったものの、

 

まー、これが

シャープやフラットが多すぎて

相当練習してやっと弾きこなせたのが

ベルベットイースターだけでした。

 

レベルの差もなにも、

曲が作れる天才の楽譜は並外れていました。

 

 

でも、この勝手に習わされた、

及び習わせて頂いたピアノが

数十年先にとても役に立つことになるのでした。