44年前の保護者同伴の入校式
という訳で、いろんな思いを引きずり地元に帰って来ました。
私の頭の中は、彼のことばかり。
あー、とため息をついたとて、これが自分で決めた新たなスタートです。
4月からは銀行員になるお膳立てが既にできている、全部父のおかげです。
ありがたいことです。
七光りは使えるのなら使った方がいいと誰が言ったか、未来空間のまだ見ぬ、私の娘の意見です。
こうして私の他力本願人生は続いていくのです。
当時はコネクションがまかり通っていた時代でした。。私はもちろんのこと、新入社員たちは概ねコネクションだらけ。
一流大学卒もいればいろいろでありながら、一貫して言えるのは素性がしっかりしているのがコネクションの強みです。
そして入校式には親同伴の中、私の父が代表で謝辞を述べるとは、その時になるまで全く知らず、
いくら田舎とは言え、そうそうたる優良取引企業者の中で父に依頼があったのか、それとも依頼しやすそうな父が引き受けたのか知りませんが、とにかく私を思い、応じてくれたのでした。
入校式が終わり、親同伴の食事会があり、お里がわかると悪い時に使う言葉でしょうか。
私は場所をわきまえず、馬鹿みたいにバクバク食べまくりました。
後々、同期の行員から「お前、あの時よく食ってたなあ。」
えっ、見られてたんだ。
なんか、彼と会えないやるせなさにやけ食いしていたのかも。モヤモヤは続きますが、
結局、この食事会とは新入社員歓迎というより、親主体ではなかったのかな、
とにかく、私のやけ食いに貢献して下さいました。