れっかの、あるあるブログ

~いろんなことあるけど、前を向くのをやめないでね~

父との別れ

軽度の時からの自宅介護を考えると

 

約8年、母には長い介護生活でした。

 

すでにその時、寝たきり状態は、

延命で孤独。

 

延命はわかっていても、

 

母は父を孤独にはさせませんでした。

 

 

まるで出勤のように

 

毎日通い続け、父のそばにいる毎日に

 

看護士さんたちも逆に母を心配するほどでしたが、

 

母は父に付き添い続ける日々を

 

途中で終わらせたくなかったのでしょう。

 

 

 

五月一日、

 

父が亡くなりました。

 

 

ゴールデンウイークの最中、

 

予定を変更してわざわざ弔問に来て下さった方々には

 

本当にお礼申し上げるどころか、

 

出先から俺を呼び戻すとは、

さすが商売人やなと

笑って訪れる方もいらっしゃいました。

 

それと共に、知らなかった父の美談や

 

お聞きしなければ知らなかった父の一面を教えて頂き、

 

お葬式とは、一つにそういう所なのだなと

 

父にそういうプロセスがあったことを知る場所でもありました。

 

 

69歳、

 

早すぎる父の死でしたが、

 

 

49日が済んだころ

 

母が一言、

 

 

「あー、せいせいした。」

 

と一言。

 

 

これは長い長い介護生活を

 

つかず離れずやりきって人ではなければ言えない、

 

母としては寂しさ紛れだったのかもしれませんが

 

母の献心で、父は死ぬ間際まで

 

孤独ではありませんでした。

 

 

父はきっと向こうの世界で

 

一目惚れしたあんたを口説いて間違いなかったよと

 

母に感謝していることと思います。

 

 

 

 

 

この頃、少しわかってきました。

どしゃぶりの雨の中

帰って来た私を見て、

 

普通、どうしたんだ?とか

大変だったなとか言いませんか??

 

 

身も心も疲れて帰って来た私にとって、

 

「早くご飯作って。」

 

の一言はありえませんでした。

 

 

お母さんがびしょ濡れで、お父さんはなんか機嫌が悪い。

親の雰囲気に子供は敏感です。

2人は、どうしていいか

分からないという仕草で、

 

私は子供たちに

「ごめんね、ちょっと待っててね!」

 

と。

 

服も着替えず、

何か買い済ませるとなると

コンビニです。

 

店に入ると、

 

「うわっ、マネージャーびしょ濡れじゃないですか!」

と、その大学生の一言が。

 

(そう!その言葉が欲しかったのよ!

そりゃ、電話しなかった私も悪いけど

わかるでしょう。お父さんの病院に行ってるんだなって。)

 

と、心の中で悔しさをぶつぶつと

びしょ濡れ女がつぶやきます。

 

もし、こんな繋がりのないコンビニに入っていれば

 

きっと稀有な視線を感じるところ、

 

ありがとう!君のそのリアクション付きの言葉!

 

さっきの主人の言葉を蹴散らして、

 

私をなぐさめてくれました。

 

 

何でもいいから

 

その日、腹に入れるものを買って

 

渡せばいいと投げやりになっていました。

 

 

 

言葉は、時に暴力になります。

 

その言葉に落胆していく、

 

少しずつ、少しずつ。

 

 

わかっていく、主人の

 

短気なところ・気が強いところ・

 

気に入らないことがあると

 

3日、口を利かなくなる陰険なところ。

 

 

幸い、これは私にだけに向けられ、

 

子供達には無かったと思います。

 

 

 

不満を水に例えれば、

 

コップの水が一杯になり溢れ出す、

 

今回の主人の一言は、

 

その積み重ねの一滴にすぎません。

 

 

水が溢れ出るその日が来ることなど

 

知るよしもなく、

 

 

でも、優しい私を怒らせると怖いんだよ。

 

 

後々結果的にコップから水が溢れてしまう日が。

 

 

 

子供が何かこぼしたら

 

はいよ!と布巾を渡していましたが、

 

拭けない水もあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

どしゃぶりの雨の夜でした。

父の症状の変化です。

 

大人のおむつがまだ出回っていないころでした。

 

夜中にトイレに行く父に母が付き添ったり、

失禁したりするようになり、

母の体力を考え、

父は大きな病院に入院しました。

 

68歳の手前でほぼ寝たきりの父の生活と、

母が病院まで出向き続ける毎日が始まるのでした。

 

毎日父の横にいる母に比べれば

ほんの少しの時間ですが、

私は仕事が終わったその足で、

母が帰った時間に

父に会いに行っていました。

 

 

ところがです。

 

ある日、父の病室に行った時、

父は立ち上がり、ハンガーに掛けてあった

スーツを着ようとしていたところでした。

 

えーっ、

 

寝たきりだった父が目の前で立ち上がっています。

 

 

「早く銀行に小切手を持って行かないと

不渡りになる!」

 

父は真剣な表情でそう言います。

会社の資金繰りの心配が

脳裏にこびりついていたのでしょう。

 

 

自分が経営者だったことを

突然思い出した、とは言え、

 

立ち上がる力をわき起こせるものなのかと

父を凝視してしまいました。

 

 

「お父さん、大丈夫よ!兄ちゃんがするから!」

 

と止めても、

父は別の向こうを見ています。

 

 

 

その時、気づいたのです。

 

 

 

父の目の前にいる私が、私とわかっていないと。

 

 

 

看護士さんが来て

落ち着いた父をお願いして病院を出ると、

 

外はどしゃぶりの雨で、

涙が止まらない私には

どしゃぶりの雨に打たれて

泣いている自分に気づかれないのが

好都合でした。

 

 

急に降り出した雨に、

手を挙げたタクシーに乗って

家に向かいます。

 

びしょ濡れで帰って来て主人に、

「ごめんね、遅くなって。

お父さんに会いに行ったら時間がかかって。

お父さんが私を私とわからなかった。」

 

と悲痛な気持ちで話す私に

 

 

主人はよほどお腹が空いてイライラしていたのか、

表情を変えもせず、

 

 

「早くご飯作って。」

と言いました。

 

 

 

 

 

(...え?)

 

 

私の心は、

再びどしゃぶりの雨に打たれた思いでした。

 

 

 

 

 

 

 

はなげる様へ

私の大失態をお許しくださいませ。

 

 

はなげるさんとわかっていながら

昨日、お名前を間違えて

大変申し訳ありませんでした!!

 

はなげるさんにコメント欄から

申し上げようとしたのですが

繋がりませんでした。

 

お元気になって良かったです。

それが証拠に、

実に素晴らしい絵を完成されて、

 

はなげるさん・エミータさんと

並々ならぬ絵の才能がおありで

本当に羨ましいです。

 

でも、見せて頂けるだけでも

とっても幸せな気分になれるのは

ありがたいことです。

 

ハンドルネームを間違えるなんて

最低な私に指摘もなさらず、

 

朝シャン シャン

朝シャン シャン

 

気分 シャッキーン

とご出勤になる懐の深さには

全く頭が下がる次第です。

 

私のお腹はまだ回復しません。

今週の土曜日が誕生日なので、

息子と娘が祝ってくれます。

そのためにも、

おなかがぐじぐじでは困るのですが、

 

まず、はなげるさんにお詫びしないと

気持ちまでぐじぐじのままではいけないのだ。

 

基本中の基本のお名前を間違えて

誠に申し訳ありませんでした。

 

はなげるさんを

まさかご存じのない方、

 

「読者になる」

をポチっと押すと、

とっても幸せな気分になりますよー。

 

 

 

 

 

 

はなげるさん、ありがとうございます!

はなげるさんが腹痛で2日寝込み、

 

翌日会社も休まれたとのこと。

 

 

おなかは辛いですね-.

 

 

 

もう大丈夫ですか?

 

 

実は私も、その日に起床して

 

なんかお腹が痛み出します。

 

 

えーっ、

 

困るんだけど・・・。

 

変なものも食べてないし

 

(変なものって何なんでしょうね?)

 

とにかく、

 

当日15:00からのパートのために

 

どうするべきか真剣に考えました。

 

 

腹痛のため、全く食欲がありません。

 

食事はガソリンですから、

 

全く食べないままで5時間

 

休憩なしでの仕事は考えられません。

 

 

依って、

 

早めにTel.をするべきと連絡しました。

 

普段は優しい店長も、

さすがに今日の今になってと思っているのが

口調から私に伝わります。

 

 

私は、本当に申し訳ありません!

と言いながら、

 

誰かがインフルエンザだ、気管支炎だで

急遽、代打で入ったのに

 

自分がこうなるとこんな扱いなんだ、

 

いや、わかるけど、

 

パートなんてホント都合の良い扱いなんだと

思いながら、

 

パートだからこの程度で済むのかな。

 

とにかく、

この時点で休める状態になり

ホッとはしましたが、

 

キリキリとお腹が痛むこと6時間。

 

 

腹痛の原因を考えますが思い当たらぬところで

 

はなげるさんのブログを読み、

季節の変わり目に起きるのが一因と教わり

 

少し安心できました。

 

気持ち的に落ち着いたからと言って、

いつものようにシャカシャカ

動けるわけではないので

その日はじーっとしていました。

 

 

雨が降りそうだからとか、花粉が凄いとかに

反応する方の気持ちが

全く分からなかった私ですが、

 

寝ている間に熱を出したり、

今回の腹痛にしろ、

 

突拍子もないことが起きる自分に、

 

ひとまず落ち着いて対応していこう、と

 

今回の経験で自分の体調やメンタル面に

向き合おうと思いました。

 

実際、

 

勤務拒否の信号だったのか、

とここまで考えました。

 

そして今も思うことは

 

「日々、粗食で十分なのだ。」

 

お腹を気遣う食事のなんと美味しいことか、

 

はなげるさんの症状と

ブログのおかげです。

 

また、お元気になったら

ピカソを愛するお絵描きを

披露してくださいね!

 

 

 

 

 

心配かけたり、心配したり。

退院間近のその日、

トイレから出た所で目の前に

花を持った息子がいました。

 

「のり君⁉」

 

どうやってここまで来たんだろう・・・と

思うと同時に、

息子は怒った表情のまま、

 

「お姉ちゃんばっかりずるか!」

と言って、私に泣きついて来ました。

 

息子のことだから、

バス停3つ先にあるこの病院まで

無心で走って来たのでしょう。

 

幼い息子がよくまあ

地理感ももちろん無く、

何を目印にここまで来れたのか。

 

笑っちゃいけないのですが、

家から病院までの途中で

花を買ったのではなく、

 

病院に向かう反対方向の店に

わざわざ買いに行って

小さい体で私に会いに来たのです。

 

「お花ありがとう。

寂しい思いさせてごめんね、ごめんね!」

と息子を抱きしめました。 

 

それから気が済むまで一緒にいて、

タクシーに乗せて見送りました。

 

来てくれるだけで十分なのに、

自分のお小遣いで一輪挿しの花を買って

お母さんに会いに行くと、

幼いながら一生懸命考えてくれたんだと、

胸が熱くなりました。

 

 

 

それから無事に完治して退院後、

 

 

しばらくして子供たちを連れて

実家を訪ねました。

 

 

なんとなく気になっていたのが的中しました。

 

父の異変を心配して、

母が付き添い、病院で検査を受けた結果、

父はパーキンソン病でした。

 

聞きなれない病名でしたが、

筋肉が固くなっていき、

動きが鈍くなったり、

気力も低下していくらしく、

 

父の症状はその典型的なものでした。

 

何でもない所で倒れたり、

自力で起き上がれなくなります。

 

私や孫が来ても反応が薄く、

座っているソファーで自然に

うたた寝を長いことしてしまいます。

 

特に目に、覇気のなさが明白に現れます。

 

 

今は父の会社を兄が継いでいますが、

 

父が現役のころ、父の会社で

少しばかりアルバイトをした経験があり

朝礼で父が従業員に向けて話す姿は、

普段の父しか知らない私にとっては、

今の森保監督を彷彿させる程の

カッコよさを感じたものでした。

 

 

ゴルフがあれほど好きで、

トロフィーもう置くとこないよー、

と言う程持ち帰って来ていた父が。

 

 

子供たちは、実家の傍に住んでいる

兄の子供と4人でギャーギャー騒いで

遊ぶ中、

 

こんなに変貌した父に、

私は泣きだすと止まらなくなる

自分の涙腺をそっと押さえながら

涙を指で拭っていました。

 

私、肺炎になりました。

私は風邪をひきやすい体質で、

その度早めにかかりつけの病院に行っては

風邪薬を処方してもらっていました。

 

それは度々のことで、

今回も風邪だろうと、先生にしろ

また風邪だろうとマンネリになっていて、

それに応じて薬を処方して頂きました。

 

で、

 

いつものように薬を飲めば治ると思っていたところ、

 

 

今回はなんか、

 

 

・・・なんか症状が違います。

 

 

 

単なる風邪の症状ではない!

 

もうこれは助けがいる、

 

だけどお母さんは店にいるから当然言えない。

 

どうにかしなければと必死に考え、

 

実家の母にSOSの電話をして

 

飛んできてくれた母に

 

家事全般をしてもらい、非常に助かりました。

 

 

 

翌日、病院に行き、

 

自分のほうから

 

「肺炎じゃないでしょうか。」

 

と言った後、

 

 

検査が終わり、

 

 

「これは立派な肺炎です。」

 

と先生が言ったと同時に

 

数名の看護師さんがざわざわと

 

私の処置に迅速に動き出すのに

 

感動さえ覚えた瞬間でした。

 

 

 

 

その甲斐あり、

(誤診のせいとは全く思っていません。)

 

ピークを乗り越え、

 

徐々に元気を取り戻し

 

病院の食事だけではお腹が空くようになり、

 

娘にコンビニからサンドウイッチや欲しい物を

 

買って持って来てもらうように頼みました。

 

 

娘は小学3年生で、頼まれたものを

正確に持って来て、

 

私のベッドの壁に背中をもたれ

漫画本を読んだりします。

 

足元を見ると、昨日来た時と同じ靴下を履いているのに気づき

 

主人の大変さが伺えました。

 

 

 

仕事が終わった主人が来て、

 

「ごめんね。いろいろ大変やろ。」

と言うと、

 

「心配するな。しっかり治せ。」

 

と私に言ったものの、

 

後で聞いた話では、先生に

 

「退院はまだですか、まだですか??」

 

とごねていたそうです(笑)

 

 

 

・・・思えば、

 

娘だけの時は私に任せきりの主人でしたが、

 

息子が生まれて家族が増えて

 

意外にも子供の面倒を見るようになって、

 

不本意ながら、

 

初めてあなたに子育てを丸投げしましたね。

 

大変でしょうが、まあがんばれ。

 

靴下、綺麗なのをはかせてね。

 

回復と共に色々な事を考える余裕が

 

できていきました。