れっかの、あるあるブログ

~いろんなことあるけど、前を向くのをやめないでね~

この頃、少しわかってきました。

どしゃぶりの雨の中

帰って来た私を見て、

 

普通、どうしたんだ?とか

大変だったなとか言いませんか??

 

 

身も心も疲れて帰って来た私にとって、

 

「早くご飯作って。」

 

の一言はありえませんでした。

 

 

お母さんがびしょ濡れで、お父さんはなんか機嫌が悪い。

親の雰囲気に子供は敏感です。

2人は、どうしていいか

分からないという仕草で、

 

私は子供たちに

「ごめんね、ちょっと待っててね!」

 

と。

 

服も着替えず、

何か買い済ませるとなると

コンビニです。

 

店に入ると、

 

「うわっ、マネージャーびしょ濡れじゃないですか!」

と、その大学生の一言が。

 

(そう!その言葉が欲しかったのよ!

そりゃ、電話しなかった私も悪いけど

わかるでしょう。お父さんの病院に行ってるんだなって。)

 

と、心の中で悔しさをぶつぶつと

びしょ濡れ女がつぶやきます。

 

もし、こんな繋がりのないコンビニに入っていれば

 

きっと稀有な視線を感じるところ、

 

ありがとう!君のそのリアクション付きの言葉!

 

さっきの主人の言葉を蹴散らして、

 

私をなぐさめてくれました。

 

 

何でもいいから

 

その日、腹に入れるものを買って

 

渡せばいいと投げやりになっていました。

 

 

 

言葉は、時に暴力になります。

 

その言葉に落胆していく、

 

少しずつ、少しずつ。

 

 

わかっていく、主人の

 

短気なところ・気が強いところ・

 

気に入らないことがあると

 

3日、口を利かなくなる陰険なところ。

 

 

幸い、これは私にだけに向けられ、

 

子供達には無かったと思います。

 

 

 

不満を水に例えれば、

 

コップの水が一杯になり溢れ出す、

 

今回の主人の一言は、

 

その積み重ねの一滴にすぎません。

 

 

水が溢れ出るその日が来ることなど

 

知るよしもなく、

 

 

でも、優しい私を怒らせると怖いんだよ。

 

 

後々結果的にコップから水が溢れてしまう日が。

 

 

 

子供が何かこぼしたら

 

はいよ!と布巾を渡していましたが、

 

拭けない水もあるのです。